当方ギター弾きであって、ギターを弾くってのもピックを使って弾いている。
それも通称「おにぎり型」の硬いやつ=フラットピックてぇ奴だ。
最近になって、このピックで弾くということの自分の進歩が、あった。
ギター弾き始めて、もうかれこれ36年。
このピッキングは、36年間の自分の悩みの種・・・でもあった。
ピッキングフォーム・・・まあピックの持ち方なんだけれど、今思うのは、決して一つの方法だけではないということ。
音楽・ギターを弾くという行為において、状況は変化し続ける。
だからピックで弾くということも、決してロボットのように同じ持ち型で通せる訳ではない。
簡単に言えば、汗だぁ力みだぁ疲れだぁ・・で、ピックは指から簡単にずれていく。
それを力まずに「どうやってピックをホールドしていくのか?」から始まり、そして各弦へのアプローチを「どうやってスムースに出来るか?」が、長い間の課題だった。
ギターは、ほとんど独学だ。
兄の弾いている姿に触発され、見よう見まねで始めたって訳だ。
それ以前には、オケイコゴトのヴァイオリン10年という経験?ってのもあるにはあるが、ことギターに関して言えば、通称「耳コピ」で習得してきた。
だから、ピッキングのフォームなんかにしても、これゼーンブ自分であーだぁこーだぁと悪戦苦闘する訳だ。
今現在、自分ではギターを教えていたりするのだけれど、先生がいるってーのは楽だよなあ・・と思う。
自分がやる気になっていれば、いろんなことを言ってもらえるのだから。
まあ、そんなこんなはどうでもいいのだが、最近自分で見つけたピッキングで、ようやく「かゆいところに手が届く」みたいになってきた。
ある状況で音がダンゴになることが解消されてきたのだ。
これは、自分にとって凄い進歩!!
そして、それだけではなかったのだ。
先日、自分の生徒と基礎的なピッキングの反復練習をしている時に思ったことがあった。
単純な動作を1分も続けていると通常疲労してもたなくなってくる。
それを今までは「コンジョー!!!」とかいって、自分では克服?っていうか、無理矢理それをやってきたのだが。
生徒は、明らかに疲れてついてこれなくなっていた。
俺はそれを感じつつも、自分ではずっと出来る感触を持っていた。
それこそ1時間でも可能みたいな・・・
そこでボンヤリ思っていたのは「あー、例えばアフリカの人達が何時間もノンストップで演奏出来るって、もしかしてこんな感じなのかなあ・・?」っと。
自分の出音は、凄く安定して同じように繰り返し音を出している。
その一音一音を出していくのが、凄く楽・・・というか、集中しているのだけれど、脱力していて全く苦にならない。
クソみたいな反復練習なんだが、まるで遠いところに歩いていくような・・そして何処までも行けそうな感覚を覚えていたのだ。
「ノル」とか「アガル」というレベル?でないような(まあ練習だしね)。
集中して且つ平常心?というか、いろんなことを思いながらも出音はしっかりと聞こえている。
どんどん自分の身体から意識が離れていくも、感じているような・・・
バードヴューとでもいうのだろうか?
そんな感覚になった。
何処までも行けるような・・・
無理矢理「そこへ行こう」とするのではない・・・
そんな音楽???!!!
何かヒント・・それも凄く重要なヒントがあるようで、俺は久しぶりにウキウキしてしまった。